子供の創造とアール・ブリュット

(2011年8月10日 記事)

 アール・ブリュットとは、既存の美術の概念や流行などに影響を受けていない超個人的な発想から生まれた創作なのですが、その定義はとても難しいです。
 しばしば子供の作品はどうかと質問されます。  
 子供の作る造形や絵画には正直、驚かされることがあります。身の周りの極端に狭い社会においての情報や体験した感覚を重視した、衝動に押し進められるままの創作行為だけに、その作品は純真や素朴、まさに汚れの無い無垢という表現がふさわしいものです。人がものを作るという根源的な種のようなものかもしれません。実際に子供の絵に憧れを抱くという芸術家も多いものです。

 私が陶芸を仕事にしていることもあって、我が家の子どもたちは小さい頃はよく仕事場に遊びに来ては、へび、おすし、温泉、かたつむり、ロボットなど日常の関心事を思いつくままに、次々と粘土で作ったり、また絵を描いていました。私はこれらの造形物に非常に関心を持っており、現在でも大切なコレクションの一部となっています。

 子どもの作品とアール・ブリュットには類似する部分はあるのですが、アール・ブリュットではありません。決定的に違うのは成長に伴い、急速に表現方法が変化してしまう点です。現に我が家の子どもたちも小学校に進学すると、学校での美術教育や漫画、アニメへの関心などによって、多様な表現方法を知ることに なり、著しく変化しました。また、ものづくりに対する関心もそれほど熱心ではなくなってきます。多くの物事への関心を持つことは子どもにとって大事な成長の過程であり、アール・ブリュットの作家のように執着して飽きずに自己表現を長年繰り返していくのはとても難しく、希なことなのです。
 また、人生経験による哲学的な思想を子供は持っていません。人生の喜び、悲しみ、怒り、物事の捉え方、それが作品ににじみ出ることがアール・ブリュットでは大変重要な要素だと私は思います。
 いずれにしても、アール・ブリュットかそうでないかは、あまり重要な事ではありません。「表現」というものは人間にとって崇高な行為であって、その尊厳を大切に見守っていきたいものだと私は考えます。

絵:工藤山花「自転車」:紙・水彩絵の具 2003年
(当時3歳。自転車 に乗れる事がさぞかし嬉しかったようです。 )

あさひかわ新聞2011年8月9日号掲載「アール・ブリュットな日々」より

 つい最近、子どもたちと、ディズニーの「塔の上のラプンツェル」を見ました。素敵なファンタジーでした。中でも私がとても関心を持ったのは、生まれて間もなく塔の上に閉じ込められて18歳まで暮らしていたラプンツェルが部屋中に描いていた絵です。実際にこの絵があったら、是非見てみたいと思いました。きっと、独創性に溢れたものになっていることでしょうね。(妄想)