式場隆三郎の視点

(2011年11月8日 記事)

 山下清の理解者に式場隆三郎(1898-1965)がいる。式場は精神科医であったが、人間の尊厳を主題にした武者小路実篤らの作家集団「白樺派」に傾 倒しており、柳宗悦、浜田庄司などが提唱した「民芸運動」(地域に埋もれている無名の職人達が作った民衆的工芸品のもつ美を広く世間に伝えようとする運 動)にも参加している。
 式場は山下清の才能を発見し、後に保護者となって山下清を画家として大成させた。プロデューサーとしての式場に対しては「障害者を利用した自身の売名行為だ」とか「社会に対して障害者への理解を向上させるために山下清を利用した」など言われることもしばしばだが、私はそうは思わない。式場の基軸には「モノを創造するという人間の能力への尊敬」がまずある。そして個々が抱える人生での悩み、苦しみ、怒り、喜び、病気、障害などから作り上げられた「人生哲学」が創造する行為にどのように作用しているのかに興味を持ち研究している。これは山下清の放浪記や、ゴッホの書簡を中心とた著書「炎の画家ゴッホ」でも伺えるように、出来る限り本人の言葉でありのままの姿を伝えようとしている。
 優れた才能を持ちながらも自分ではそれにまったく気がつくこと無く終わってしまう人達の存在を知っていた式場は「なんとしても山下清の存在を広く世間に知らしめ、このような人達の存在を伝えたい」との熱意を持ったのだろう。
 しかし、世間の山下清人気にこれほどまで火がつくとは、式場自身も想像していなかっだろう。「社会」と「山下清」を繋ぐパイプとして機能していた式場にとって社会の要求に対して「ありのままの山下清の魅力」を伝えることは、その山下人気と共に難しくなっていったのではないか。
 ベレー帽をかぶり風景をスケッチしている晩年の山下清の写真を見るにつけ、私は憂鬱になる。そもそも山下清はスケッチの必要性を感じていないはずだし、放浪生活の中から湧き出て来るイメージが山下清芸術の真骨頂なのだ。しかし敗戦のどん底から抜け出し、経済が成長して来た時代背景にあっては「どんな人で も頑張れば偉くなれる」というような社会的なメッセージを世間が好んだ。
 「式場隆三郎が山下清を利用した」というよりも、「世間が山下清を必要とし、式場もついに世間の求めを阻止できなかった」という言い方が正しいと私は思っている。

<写真>1985年(昭和60年)私が15歳の頃に、家の近くの百貨店で開催された山下清の展覧会のチラシ。主に地域の百貨店などで全国巡回され大衆の人気を集めた。しかし、これによって作品の劣化が進み、今日では当時の鮮やかな作品の色合いは無くなってしまっている。  

あさひかわ新聞「アール・ブリュットな日々」(2011年11月8日号掲載記事)

<追記>25年前の山下清展はよく覚えています。当時は山下清を題材にしたテレビ番組(芦屋雁之助主演 裸の大将放浪記)があって、極端な演出で「心温まるヒューマンドラマ」の主人公としての山下清のイメージを作り上げていました。当時の私もその主人公のイメージが強く展覧会を観ていました。しかしそのイメージはまったく違っているかというと、そうでもないようにも思えます。山下清の魅力、素質にもそういったものが少なからず備わっていたのは間違いないことでしょう。そうでなかったら人を惹き付けることは出来ません。それは長期の放浪生活で実証されています。多くの人に希望を与え、愛された人物として伝説的に語り継がれるのは素晴らしい事だと私は思います。
 ただ、しっかり本来の「山下清」について考え、知ることも大切なことなのです。