大地に感謝!春の粘土掘り

 大雪だったので、なかなか雪が溶けなかったが、
桜が咲いたし日差しもあたたかくなって、大地も乾いて来た。

いよいよ粘土堀りシーズン到来!
とにかく掘らないと、まったく粘土が手元にないので注文品すら作れません。

さっそく軽トラの荷台に、剣先スコップ、角スコップ、クワなどを用意して、いざ出発!

旭川から北に向かって軽トラを走らせます。
塩狩峠を越えて、和寒町当たりに来ると風景が一変。
南フランスの田園風景のような感じ、、、

爽やかな天気。
空が広いぜ北海道!!

気持ちいいーーーー。
どんどん北に向かって走ります。

夢の大地に到着!これ、ぜーんぶ粘土。

遥々日本海を越えて、風によって運ばれて来た粘土。
2億年もの悠久の時を超えた粘土。
ミラクルクレイ

写真のようにこの一帯は地表から粘土。
だから、、この上でたき火すると地表が焼き物になるんです。

しかし畑作をする人にとって、このような土地は雨が降るとぬかるんで、
乾くとカチコチに固くなってしまうので厄介なんだそうですよ。
この風景を目の前にして感激しているのは僕だけでしょうね。

地表から粘土ですが、草の根などがあるので30センチぐらい掘ります。
天気が怪しくなって来ましたが、
日差しが暑くないので快適に作業が出来ます。

僕は粘土を掘っていると幸せな気持ちになります。
この粘土と共に歩んで来た道。
そして希望を秘めて共に向かう未来。
想いを巡らせていると
ワクワクします。

こんな楽しい作業を人に任せてしまったり、
機械であっという間にやってしまうのは
僕はとてももったいないことだと思っています。

さて、とりあえずこれだけあれば、しばらくはうつわが作れそうです。
無くなったら、またいつでも掘りにくればいいのだ。

さて!この粘土でどんなのが出来るかなー。

大地に感謝!

そして、僕の創作に対して一番の理解者である
この土地のオーナー様にも敬意と感謝!

シュヴァルの理想宮

(2012年5月13日 記事)

フェルディナン・シュバルという巨人 

僕が尊敬する人にフェルディナン・シュバル(1836-1924)という人がいます。この人は「シュヴァルの理想宮」の制作者として知られている人です。
 この「シュヴァルの理想宮」はフランスのリヨンから車で1時間ぐらいのところにあるオートリーヴという小さな田舎町にあります。僕は以前からフランスに行ったら、この建物を絶対に見てみたいと思っていました。その願いが叶ったのがちょうど2年前のことです。

 目の前で見ると、写真とは比べ物にならない大迫力です。高さは10メートルにもなります。この建物をシュヴァルさんは、たった一人で33年を費やして創作したのですから驚きです。

 建造のきっかけの話も大変興味深いです。
 郵便配達夫であるシュヴァルさんは1日30キロにも及ぶ配達エリアを徒歩で回っていました。元々空想癖のある彼にとっては様々な考えを巡らせながら歩くのは苦ではなかったそうです。ある時、歩いていると道でシュヴァルさんは石につまずきます。良く見ると、それは不思議な形をしている石だったようで、その石からシュヴァルさんは理想とする宮殿のイメージを膨らませたのです。

 建物の2階部分のテラスにこの「つまずいた石」が大切に安置されていました。
 写真中央にあるのがそれです。やはり、不思議な形をしています。

 シュヴァルさんは仕事を終えると、手押し車で石を集め毎日、毎日、石を積み上げました。あまりにもの没頭ぶりに、村人たちからは「変人が奇妙な建物を作っている」と言われ続けたそうです。それでも彼は黙々と取り憑かれたように作業していたと伝えられています。

 誰にも理解されず、孤独のうちにただひたすらに創作への執念に向かっていたシュヴァルさんの姿はどういうものだったのでしょうか。きっと生き生きとしていたに違いありません。
 自分が取りかかっている創造がどれだけ凄いものになるかというイメージがすでにあったのではないでしょうか。建物のいたるところに彼のメッセージが書き込まれています。

 『夢・・それはこの宮殿は巨人が作ったと思われることだ。それは自分への贈り物だ。人間業を超えたこの仕事が後の成功へと繋がる』
 『人生はすきま風が通るような早さだ。だが、思想は永遠に残る』

 これらの文章から、シュヴァルさんの完成に向けた熱意、決意のようなものが伺えます。
 理想宮が出来上がってみると、多くの人が関心を寄せるようになりました。ピカソもその一人で感激し絶賛したそうです。1963年になるとフランスの文化財として登録され、今では村のシンボルとなっています。

 保存管理されていますが、理想宮には上がることも出来ます。
 ありがとうシュヴァルさん。感謝!!

 細部にわたって作り込まれている。何時間でも何日見ていても飽きない。
 永遠に続くクリエイション世界への陶酔。
 創造したジュヴァルさんはきっと空想も巡らし、毎日楽しかったんだろう。

 死んだら、この宮殿に埋葬してもらおうと思っていたシュヴァルさんでしたが、存命中に観光地となってしまったこともあって、今度は11年かけて自らの墓を作りました。

 きっと、シュヴァルさんのことですから、
 あの世でも自分のために何万年もかかる神殿を作っているかもしれないと僕は想像しています。どんなものになっているのか空想するだけでワクワクします。

旧旭川温泉から何が沸き出す?  

(2012年5月13日 記事)

 昨年秋に大きな買い物しました。カタクリの群生地で有名な突哨山にある旧旭川温泉です。約4000坪の土地に、鉄骨の本館と木造の別館合わせて床面積が1000㎡。個人が所有するには文字通り大きすぎる買い物です。

 年配の旭川市民であれば、この旧旭川温泉で宴会などをした経験があるのではないでしょうか。開業当時を知る方によると、とても繁盛していたそうです。間取りを見ても、大宴会場には200人規模、その他に5室も宴会場があって、最大300人ぐらいの収容力があると思われます。かつての繁栄ぶりが偲ばれます。

 しかし、営業を止めてからすでに20年近く。その華やかな面影は現在まったくありません。外壁は風雪にさらされて朽ち始め、興味本位による若者たちの廃墟探検なるものにより、窓ガラスや壁が壊されるなどの被害もあって、廃墟の様相が一段と増しています。

 この建物に初めて出会ったのは10年前。旭川市内に住居を探していた折に、友人が紹介してくれたのが旧旭川温泉の隣の住宅でした。廃墟感が漂う旧旭川温泉の存在が気がかりでしたが、森に隣接しており静かな環境だったのと、敷地も広かったので住宅をお借りすることにしました。陶芸をする工房は引っ越しして間もなく廃材を集めて、自力で庭に建てさせてもらいました。

 住んでみるとやはり、お隣の旧旭川温泉の存在には困りました。深夜になると建物に入り込んで大騒ぎする若者たち、不法投棄をする人などあったり、何度か警察に通報したり、以前の所有者に管理の強化をお願いしました。
  所有者は遠方にお住まいという事情もあって、7年前から私が旧旭川温泉を作業場として使用する代わりに、ある程度の管理をする取り決めをしました。敷地の清掃や修繕、監視を強化することでトラブルは激減しました。

 住めば都とは良く言ったもの。10年も経つと、それなりにこのどうしようもないと思える物件にも情がでるもので、どうにかうまく再生したいと思い始めました。そんな矢先に売却の話が持ち上がり、不思議なご縁で私が旧旭川温泉を引き継ぐ所有者となりました。天命だったのかもしれません。

 所有者となって、まず旧旭川温泉の壁に1枚の写真を貼りました。フランスの片田舎に33年の歳月をかけて、一人で石とセメントで理想宮を作り上げた郵便配達夫のフェルディナン・シュヴァル(1836-1924)の白黒の写真です。

 尊敬するシュヴァルの信念のように私も根気よく、創作(建物の再生)に立ち向かって行きたいと思います。スペースが広いというのは、物を作る人にとっては都合がいいものです。それは色々なチャレンジが出来るからです。いま私は大きなステージを得て、新しいチャレンジにワクワクしています。

 旧旭川温泉から沸き出すもの。それは「ものづくり魂」!

(あさひかわ新聞 2012年5月8日発刊 連載「アール・ブリュットな日々」)

ところで、、、、

 廃墟探検や心霊スポットなどとした恐いもの見たさの建物への侵入行為はとても、とても困ります。こちらにとっては昼夜に敷地を知らない人にウロウロされるのは怖いことなんです。
 所有者の承諾がなく建物に入ると無論、不法侵入罪。ガラスを割れば器物損壊罪、物を盗めば窃盗罪。実際に侵入して来る者に対しては駐車している車のナンバーを確認して毎回警察に通報するなどしていますので、中には駆けつけた警察官に連行された若者たちが数人います。こちらとしても警察に連れて行かれる若者の姿を見るのは後味の悪いものです。

 これらの行為は周囲の人に迷惑をかけるばかりでなく、自身が思いもかけない怪我や事故に繋がることもあったり、なんと言っても犯罪者とみなされてしまいますので、廃墟探検や心霊スポット探検などの行為はやめましょう。
 あと、マスメディアやインターネットを介して、これらの行為を助長させることもやめてほしいものです。