旭川 冬の野山はピリカ

旭川の冬 寒い日の朝、外界は凍りついています。

凍りついた世界ならではの美しさがそこには広がっています。

太陽が昇り、気温が上がると消えてしまう束の間の『美』

アイヌ語では「美しい」とは「ピリカ」というが、いにしえの時代から、この地に住んでいるアイヌは「ピリカ」と思ているに違いない。

「ピリカ」には「美しい」の他に「良い」「きれいだ」「立派だ」「豊かだ」という意味合いもあるらしい。

いずれにせよ「ピリカ」という音の響きは、寒い日の朝の風景を表現するのにピッタリだ。

蝦夷粉引アイヌ文小壺

登り窯で焼成した小壺です。
室町時代に生産された信楽焼の檜垣文小壺から着想を得ました。

檜垣文とは、壺の肩に×印を連続的に2本の平行線の間に刻んだもので、一説にはしめ縄を表現したものだと考えられています。

そもそも、しめ縄は虫やネズミなどから大切な穀物を守くれる「蛇」を形どったもののようです。
いずれにしても壺に刻まれた文様には、人々の祈り、宗教的な意味合いが強く込められていることに間違いありません。

一方、アイヌは農耕はしていませんでした。アイヌが一番恐れていたものは伝染病だったようです。

天然痘などの伝染病が蔓延するたびに多くの命が奪われてきました。蝦夷粉引アイヌ文小壺
アイヌの着衣には襟や袖口にアイヌ文様が描かれていますが、それは邪悪なものが身体に入らないようにと考えた魔除けの意味合いが強いものです。アイヌには「ニマ」と言われる木製の器がありますが、これにも魔除けの文様があります。

北海道の陶芸家として
壺に祈りを込めて、文様を刻む。
そうした行為が今の時代にあって、出来るのか。

最近、そんなことを考えています。

「蝦夷粉引」とは工藤和彦の造語です。

中世に朝鮮半島で発明された「粉引」の技法が、九州、西日本から北上して、、、、ながい時間と日本の歴史を辿って、ついには北海道までたどり着いたロマンを考えて命名しました。

そもそも白くないので、粉引と言ったらおかしいかもしれませんが、、、、

僕の中では、北海道らしい野性味のある粉引というのが理想です。

北海道の陶芸家にとって一番恐れること

(2018年2月18日 記事)

今回の冬はなかなか手強い。

日本海沿岸の地域は特に雪が多くて大変な様子が報道されており、同じ雪国に住む者としてはそのご苦労が身にしみます。

どうか無事にお過ごしいただきたい。

どうしようもない自然の猛威の中では、ただただ春の訪れを祈るしかありません。

旭川も今回は雪がとっても多くて困っています。

北海道に移り住んで25年近くなりますが、これほど雪が多くて寒いのは経験がありません。

家の周囲は除雪した雪がすでに2メーターを超え、壁のようになってしまいました。

この雪が溶けるのはいったいいつ頃になるのでしょうか?

旭川で最も寒い時期はだいたい1月下旬から2月中旬までです。ちなみに明治35年(1902年)1月25日、旭川でマイナス41度。これが日本の観測史上の最低気温となります。

近年ではそこまで下がることはありませんが、マイナス27度ぐらいまでは下がります。

当然、寒いと色々困ることがあります。

一番、恐れることは「凍る」ということ。

一般的に冷凍庫の温度はマイナス18度ですが、これより下がる日が旭川の冬には何度もあります。

だから水道設備などには寒冷地仕様というものがあって、寒いときには水道菅から水を抜きます。

水分は凍結すると膨張するので、金属で出来た菅と言えども破壊されるからです。

北海道に移住したばかりの頃は、このことがよく理解できずに、湯沸かし器を何度も破裂させてしまいました。

日本の中で最も寒い地域で陶芸をするということは、実際にやってみると過酷です。

北海道に焼き物の産地が形成されなかった理由の一つにもなると思います。

北海道の陶芸家にとって一番恐れることは、「凍る」ということです。

粘土には30%ほど水分を含んでいて、これによって自在に形を変化させられるのですが、その水分が凍ってしまうとどうなるでしょう。

このようになります。

先日の朝、作業場に行くとストーブが消えていて、、、、マイナス15度。

作業場全体が一晩で凍りました。

粘土も釉薬も全てカチコチ。

当然、数日前から制作していた乾燥前のうつわは全て凍りました。

粘土の中にある水分が凍って、表面に出てきています。

作業場を急速に温めて、解凍するのに半日。

凍った水分が解け始めると、どんどん形が崩れて行きます。

結局300個ほどダメにしてしまいました。

唯一の救いは、また練って粘土にできるということです。

北海道に移住して25年。油断していました。

僕が目指すのは北海道の自然とともにある「北海道のやきもの」。

自然から恩恵を受けながらも、常に、あるがままの自然が持つ厳しさとも対峙できるように日々、精進を積み重ねて行かなくてならないことを痛感しました。

ちなみに経験上、凍結を防ぐのは断熱効果を高めた上でオイルヒーターを使用するのが最適です。

灯油のストーブだと、燃料切れで止まってしまうこともあります。(経験済み)

ただ、今回のようにブレーカーが落ちるとオイルヒーターも万全とは言えませんので注意が必要です。

キルト作家秦泉寺さん来訪

(2016年3月20日 記事)

 先日、京都在住のキルト作家秦泉寺由子(ジンゼンジヨシコ)さんが工房にご来訪くださいました。
秦泉寺さんとは、「風水土のしつらい展」というイベントでたびたびご一緒させて頂く機会があって知り合いとなりました。
お会いするたびにパワーアップして、更なるクリエイションに向けて目を爛々と輝かせている秦泉寺さんを見るたびに、僕はとても勇気づけられます。尊敬するアーティストのお一人です。

近年、秦泉寺さんはバリにあったご自身のスタジオを手放して、京都にキッチンハウスジンゼンジを開設されました。
「これからは、お料理の世界を探求するの」と言っておられ、、、その修行道場としてキッチンハウスを作られたようです。
秦泉寺さんの探求が始まると尋常ではありません。
ごま豆腐のために胡麻を1時間以上擦るとか、究極のお出汁のため昆布選びに北海道の沿岸を回ったりとか、、、
お話がとっても面白く、その視点や感覚が参考になりました。

今回のご訪問は、お料理を盛りつけるうつわのご依頼でした。
分かり易く資料をまとめたうえでご説明頂き、その徹底ぶりに驚きました。
しかしイメージを押し付ける事がなく、同じアーティストとしてコラボレーションを楽しみたいという想いも伝わってきました。

僕のうつわに秦泉寺さんのお料理が盛られるのが楽しみです。

釧路 丹頂鶴 幽玄の舞

(2016年3月20日 記事)

釧路には丹頂鶴がいます。
そういう事を知ってはいましたが、旭川から釧路までは車で5時間ほどかかりますので、なかなか見る事ができませんでした。
先日、やっと丹頂鶴を見に行ってきました。

丹頂鶴は釧路の鶴居村で見る事ができます。
冬場は餌付けをしているポイントが点在しています。
その一つに行ってみると、思った以上に鶴が集まっていました。

一年を通して釧路で生息しているようですが、やはり鶴を見るなら冬が一番いいと思いました。
白と黒のコントラスト、小さくポツンと頭の上の赤い色。しなやかで美しい。

昔から鶴は縁起がいいものとされ、陶器にもよく描いています。
朝鮮の陶磁器にも象嵌で鶴を描かれたものがあります。
聞いた話によると、ちょうど朝鮮半島の38度線上に鶴の生息地があるようで、南北の緊張から逆に人による環境変化がなくて、鶴にはいいようです。
釧路では鶴を保護しながら、農作物をどのように守って行くかなど色々問題もあると聞きます。

雪の中の鶴は珍しいのか、海外からも多くの人が大きな望遠レンズを装着して撮影に来ていました。

夕日に雪原が照らされ、幽玄な雰囲気に包まれました。
北海道の雪景色の美しさに時々ハッとします。

いくら見ていても見飽きない、、、、自然の中にある雅の世界です。
せっかく北海道に住んでいるのだから、こういう一瞬をもっともっと見る努力をしなければならないと思いました。