思考の裏山

3月11日の大震災以来、「うつわ」が作れなくなってしまった。
連日テレビやラジオ、インターネットで災害の映像を見たり、聞いたりして、その被害の甚大さにショックを受けた。多くの人が亡くなってしまったり、被災地での困難な生活をしている人達の事を思うと、苦しくなってしまう。すでに僕の心の許容範囲を超えてしまった。

「うつわ」には心が投影されてしまう。伸びやかで健康的な「うつわ」など作れる訳が無い。

この数日はまるで暗闇の中を手探りで歩いているようなものだ、、、。

久々にスノーシューをはいて裏山に散策に出かけた。
我が家の裏山は「突哨山」(とっしょうざん)といい、アイヌ語のトゥ ッ・ソTuk-so(突き出る・ところ)が語源となっている。確かにこの山の形は平地に半島のようにせり出している。アイヌの伝説によると、この山のどこかに黄泉の国ヘ続く洞窟があるらしい。この山は石灰石が多くあるので、どこかに鍾乳洞があってもおかしくない。それが黄泉の国に通じているのなら探検してみたいと思うのだが、10年近くこの裏山を散策しているものの、まだ発見はできていない。

僕の前には先客がいっぱいいたようだ。無数の足跡が続いている。しばらく追っかけてみた。
雪が積もっていると草に邪魔される事も無いので、縦横無尽に山を登る事が出来る。

ふと目についたこの大木は、とても窮屈そうだった。
ツルに締め付けられて、悲鳴を上げているようだ。
ツルは太くなって、グイグイと大空に向かって伸びていく。

僕はツルが憎らしく思えたが、あたりを見てみると
大木と運命を共にして朽ちているものがあった。

風雨のさらされ、自然の猛威に抵抗できず、無力にも倒されてしまったのだろう。
生命のはかなさだ。

倒木には無数の虫や菌が宿り、鳥達がその虫を食べるために突いた穴が無数にある。
これが、自然の摂理か、、、、

雪が湿っている。
少しずつ、雪は溶けていく。

春の日差しがほしい。