「アール・ブリュット」とは何かを考えてみる(1)

(2013年2月12日 記事)

「心」というものは、優秀な外科医や脳科学者、精神科医であっても見ることが出来ない。存在する「形」がないからだ。しかし、私たちは社会生活を営む上で、この実体のない「心」というものを他者と少なからず通わさなければならない。一般的には、社会通念や生活体験を他者と共有し、共感を繰り返すことで、常識的な「心」の有り様を自分の中に築き、相手の「心」を推察できるようになっていく。

 しかし、なかなか上手くいかないのが世の常だ。時には全く「心」が通わないと感じる人もいる。それは共有できる情報量が著しく少ないからでもある。生きて来た過程が、自分のものや一般社会に多くあるものと異なっている場合は、特にその隔たりは大きい。社会生活に興味がない、または孤立して過ごしている人達の「心」の有り様を推察するのは容易ではない。

 先に述べたように、「心」というものは形が無い。入れ物もない。「小心者」と言うように小さくもなるし、「寛大な心」というように大きくもなる。そして、傷つき易くもあるし、強靭でもある。自分のリアルな「心」の有り様を表現することは自分でも難しい。子どもの頃には明確だったかもしれないが、年齢や社会経験を重ねると、世間に理解されずに孤立してしまうのではないかという恐れもあって、次第に抑制してしまい、自分がどんな「心」を持っているかを問われてもあやふやとなる。

 世界にいるのが自分ただ一人で、他者を意識することなく、また理性に抑制される必要もないと考えたら、「心」は一〇〇%開放できるのかもしれない。

 アール・ブリュットは作者が一般社会の常識的な「心」の有り様から逸脱、孤立していることによって自分の「心」の世界を色濃く昇華させた成果でもあるのだ。

 フランスの画家、ジャン・デュビュッフェが提唱した「アール・ブリュット」を私はこのように解釈している。
 「アール・ブリュットとは、経験や記憶によって培われた個人的な哲学思想が反映されて生み出されたもので、着眼点、発想そのものが作者に起因しており、他に類が見当たらない希な表現である」
 (ここでいう「経験や記憶によって培われた個人的な哲学思想」というのは「心」というものを私なりに具体的に考えたもの)

 このような解釈を踏まえた上でアール・ブリュットを見ることにより、作家の世界観がより浮き上がって見ることができる。

(つづく)

Aloise「Le Bateau poules」「めんどり船」
紙、油性チョーク 84×59,5 cm (制作1960~~1963頃)
アール・ブリュットの代表的な作家、アロイーズ・コルバスの作品。
46年間、社会から隔絶された環境で、自分だけの世界を「心」の中に描き出し、その世界の創造主として自分を昇華させ、画面にも登場させている。

(あさひかわ新聞 2013年2月11日号 工藤和彦「アール・ブリュットな日々より」)

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