哲朗君と粘土の楽しい関係

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(2012年10月4日 記事)

 年に数回、私の工房に哲朗君はやって来る。彼との付き合いは、もう12年にもなるだろうか。最初、哲朗君は粘土に触れるのを嫌がっていた。次第に粘土には触れられるようになって、叩いて皿を作ることを教えたりしたが、楽しそうではなかった。粘土の感触や造形の楽しさを彼に伝えたいと思う私を困らせた。その哲朗君が劇的に変わったことがあった。

 出会ってから7年目。無造作に、机から床に落ちた粘土の「音」に気がついたことだった。工房の床下は空洞になっているので、音が共鳴したようだ。私には特に気になるような音ではないのだが、視覚に問題のある哲朗君は驚くほど聴覚が敏感で、それに気がついたのだ。それからというもの、哲朗君は粘土をちぎっては床に放り投げる事を繰り返すようになった。このように積極的に粘土と関わる哲朗君の姿を見て、私は衝撃的だった。陶芸をする者としては粘土を床に落としたらゴミが付くし、床も汚れるので本来は嫌なのだが、哲朗君があまりにも楽しそうにしているから、私は口を出さず見守ることにした。放り投げも2年後にもなると,哲朗君はバケツの水の中に粘土を落として、音を立たせることも発見した。投げた粘土が偶然に作業場のバケツに落ち,「ポチャーン」と音が響いたことがきっかけだった。聴くところによると、どうやら哲朗君は幼少の頃にマンホールの中に小石を落として「ポチャーン」という音を聞くのを密かに楽しんでいたそうで、近所のマンホールを小石で埋めてしまったという逸話もあるらしい。この「ポチャーン」という音が粘土の分量を加減する事で変わっていく事に気がついた哲朗君は,大小さまざまに粘土をちぎって投げ入れて音を聞くようになった。しばらくすると、バケツに溜まった粘土を泥水とともに空中に放り投げて床に落ちる音を楽しむようになった。まるで火山の噴火のような感じだ。
 泥を頭からかぶって、はしゃいでいる彼の姿は、私にとってなんとも神々しい。

 粘土と戯れて心の底から楽しんでいた私の感性は、いったい何処に行ってしまったのだろう。遠い記憶の彼方になってしまった。
「粘土をもっと楽しもう」
 今となっては、哲朗君に私は大事なことを教わっている。

写真:泥まみれの哲朗君

(あさひかわ新聞 2012年9月11日号 工藤和彦 「アールブリュットな日々」より)

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