縄文スパイラル

(2011年6月14 日 記事)

「縄文スパイラル」

 6年前、浜益の森の中に住む縄文造形家の猪風来(いふうらい)さんを訪ねました。
 猪風来さんは縄文の本質を知るために、文明社会からとにかく逃げなければならないと思い立ち、関東から北を目指して旅を続けて、浜益までたどり着いたという移住者です。  

 この森で猪風来さんは、縦穴式住居を作り、過酷な自給自足の生活を体験しながら、人間の内面にある野生「縄文の魂」を磨いていきました。当初は文明社会を拒絶するために、家の周囲にバリゲードまで作ったという徹底ぶりだったようです。きっと地域住民は「まったく訳の分からない、おかしな人がやって来た」と当惑したことでしょう。

 長く厳しい大自然の生活の中で、彼は着々と「縄文の精神」を学びとり、現代にそれを蘇らせようと、野焼きの手法で独自の縄文造形を作り続けていきました。「粘土」を堀って形づくり、それを乾かして木を燃して焼き固める。単純なことですが、これがなかなか難しい。炎が強すぎると粘土の中に残っている微量の水分が一気に膨張して爆発。逆に炎が弱いと生焼けの状態になってしまいます。猪風来さんは長い経験の中で高さ2メートルの作品までも野焼き焼成する技術を編み出しました。

  ところで「縄文」と呼ばれる焼き物は世界で最も古い焼き物です。「弥生」のように丸みを帯びて機能的なものは世界各地にもありますが、「縄文」の様式は他に見当たらず、世界的に異色です。特徴的なのは縄を擦り付けた文様と火焔式土器にみられるような縁に装飾された火焔の造形です。猪風来さんはこの火焔の造形を好んで作品に取り入れています。一面に渦を巻かせて、まるで燃え上がるエネルギー体の印象です。
  猪風来さんの縄文造形は国内外で高い評価を得ていましたが、地元の北海道での評価はそれほど高くはなかったようです。彼の縄文芸術への眼差しを理解できる人が少なかったのです。また、彼の芸術に対する真剣な言動や行動は周囲の人達を拒んでしまったのかもしれません。結局、猪風来さんは僕が訪ねてから数ヶ月後に数千点の作品を引き連れて去ってしまいました。岡山県新見市の協力で山村の廃校を「猪風来美術館」に変えるためでした。

  北海道の風土に学び、作り続けた素晴らしい芸術家に対して、ささやかな希望も与えら れずに、また、その価値を知る事もなく手放してしまった北海道を私は残念に思っています。

 (写真)「土夢華シリーズ 縄文コスモス」卵形は「世界の創造」「宇宙」の象徴。中央の穴の内部にも造形がびっしり施してあり、覗き込むと中に引き込まれてしまいそうだ。

(あさひかわ新聞「アールブリュットな日々」2011年6月14日記事より)

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