アール・ブリュット=裸の自分

(2011年4月12日 記事)

 僕は、アール・ブリュットに対して20年前からとても興味を持っていまして、アール・ブリュットの普及と研究を目的としたNPOラポラポラを平成18年に旭川に設立しました。ここら辺の経緯に関しては、またボチボチと記事をブログに投稿していきます。

 「アール・ブリュット」とは、フランス語で日本語に直訳すると「加工されていない芸術とか、生の芸術」となります。これを提唱したのはフランス人画家のジャン・デビュッフェです。英語圏では「アウトサイダー・アート」と言われてもいます。
 作家として美術的な教育のされていない、精神病患者や知的な障害のある人、重労働者、囚人など、芸術界から遠い存在である人達による沸き上がる衝動のままにつくられたモノを「アール・ブリュット」とし、デビュッフェは彼らこそが「真のアーティストだ」と賞賛しました。ここら辺にしても長くなるので、またボチボチと、、、

 「アール・ブリュット」を理解する上で、一番大切なのは直に作品を見る事だと思います。今、その絶好の機会があります。日本のアール・ブリュットの作品群が今、埼玉県立美術館で展示されています。是非、近くの方はこれを見て頂きたい。

埼玉県立美術館のアールブリュットジャポネ展

下記の文章は2011年4月12日号 あさひかわ新聞へ寄稿したものです。

「アール・ブリュット=裸の自分」 
 2010 年に日本から63人のアール・ブリュット作家が参加して開催され好評を博した「アール・ブリュット・ジャポネ展」(パリ=アル・サン・ピエール美術館)が、日本国内の美術館を巡回しています。現在は埼玉県立近代美術館において、4月9日~5月15日まで開催中です。この展覧会には北海道から大梶公子、平瀬敏裕、西本政敏、畑中亜未が出展しています。その後も巡回が続きますが、残念ながら北海道での開催の予定はまだありません。

 自由な発想と創るよろこびに充ちたアール・ブリュットの作品群は、人間の純粋で普遍的な創造性を表現していて、きっと東日本大震災によって精神的にもダメージを受けている人々の心に何らかの活力を見いだしてくれるだろうと、私は期待しています。無論、アール・ブリュットの作家達は誰に対してではなく、自分のためだけに制作を行っています。誰かを元気づけさせようなどと考えて創作している作家はいません。作家の中には画材が揃っている恵まれたアトリエで創作している人もいますが、生活の中にごく普通にあるもので自身の表現を生み出している作家が大半です。廃棄されたダンボールに鉛筆や赤鉛筆で結婚式の絵を描き続けた小幡正雄。通勤中に道端のゴミを集めてテープで組み合わせて造形物にしている八島孝一。アール・ブリュットの代表的な作家のアロイーズにしてもゴミ箱から、雑誌や包装紙を拾い集めて描いていました。彼らは複雑な人間社会を避けて限られた人間関係と空間に安住し、自分の内面世界に活路を見出しています。その世界は独自な哲学、思想によって成り立っていて誰も侵入する事は出来ません。ですからアール・ブリュットを鑑賞しても、誰も作家の奥深い世界には到達できないのです。「自分は自分でいい」「理解されようなんて思ってないぜ」という何とも言いようのない反骨精神を作品から感じます。それは一方で理解したいという衝動もくすぐります。私はアール・ブリュットの作品を通して、実は自分との対話をしているのだと気付かされます。「裸の自分を理解したい自分」。それは、何かが覚醒されていく始まりかもしれません。

NPOラポラポラ理事代表 工藤和彦

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